思いついたこと

楽しいことを思い出す日記にします。

チームにおけるヒール役

昔からチームワークにおいては、ヒールになってしまう。要因は3つ。1つ目は口調がきつい。2つ目は何でもやるなら本気でやりたがるので周囲との温度差が大きい。3つ目にここまでやりたいという理想像をシェアすると相手のイメージと乖離があり過ぎて説明にエネルギーを要して疲弊させてしまうこと。


私はチームにとって、うるさくて、何で本気でやるんだよと思われて、言ってることが理解できない人になる。


私からすれば、チームは、なぜ時間を割くのに本気でやらず、無目的に慣例か指示に従う行動しかしない人たちになる。


また、チームワークに苛立ちを覚えることがある。①他者の時間をリソースとして理解していないこと、②合意形成しなければその後の行動に混乱を生じさせるであろうと想像していないこと、③指示はアクショナブルな表現で行わなければ解釈の余地から合意内容と乖離が生じると理解していないことの3点。


まとめると、

やるなら本気でやろう

本気っていうのは成員の考えられる限界までのこと

リソースは有限で、他者の時間もリソースだから有限だから、アサインは目的・納期・何をするかを伝えて行おう

後の混乱を防ぐためにコンセンサスを取ろう

指示はアクショナブルな表現で解釈の余地をなくそう(考えること自体を指示にする場合は別)

ということをチームに求めてしまう。

期待と異なるチームの挙動にいらつき、口調がきつくなる。


こんな風に言語化しないし、上に挙げた全てではないけれど、物心ついた頃から、周囲との違いに苛立ってしまった記憶が多い。

会社に入れば、お給料を貰っているのだから、少なくとも本気で取り組むことや、指摘されれば修正しようと努めることが、当然なのだと、こちらもまた期待していた。実際には、様々な理由により、人々の業務への態度は異なっている。



ただ結果として、私はヒールになる。

同じようなことを感じていてもヒールにならない人は、他者に対して期待していないように思う。私は一度でもいいからこのチームで良かった!と思って仕事をしてみたいし、きっとこの人は変えてくれると期待してしまう。

期待するのが悪いのだろう。昔、信じることと期待することは違うと習ったなあ。未だに分からない。人間は少なくとも2年。基本的には3年無いと変わらないとも習った。


私はヒールになり、真剣に取り組むほど、また、チームワークをできる限り最大化させようとするほど、損をする。遅延を巻き取ってオンスケにしても、私がやろうと提案したことやアウトプット像を形作っても、またそれが、レビュー時に、ここは圧巻だね、短期間でよくあそこまで仕上げたねという評価になったとしても、私が参加したことによる評価にはならなかった。

他の成員の成果は、ハッキリと誰々のおかげ、という評価となるのにも関わらず。


褒めてもらいたいわけではないが、評価とならなければ、どのようにして次の仕事へのモチベーションをつくればよいのか分からない。やればやるほど損をする構図なのに。



結局、他者に期待してはいけない。

オーナーシップもリーダーシップも、誰もが持ち、磨く、というものではないのだろう。そのくらいは今まで生きてきて、理解しているべきだった。



そんなことを感じた年末だったので、同じ業務であったとしても、中途半端なものに目を向けず、ただやりたいことに意識を向けて、脳内もそれで埋め尽くしていようと思った。

また、自分は、自分がここで楽しいと思える環境を手に入れる努力をしなければならないと思った。


そんな年始です。なので読書も捗った。良かった。