思いついたこと

楽しいことを思い出す日記にします。

早速ブログの存在を忘れていた

何かを継続することに苦手意識があるけど、楽しかったことに自覚的になりたいから、存在を忘れても良いかという気持ちで、ブログを作った。

ブログのことをさっきまで忘れていた。人のブログを見てブログを作ったのを思い出した。


今回は、聞いてほしくてたまらないけど、聞いてもらっても仕方のないことを書く。内容にまとまりもないと思う。



大事な人がいなくなる、もしくはいなくなるかもしれない状況になってから、その人が私にとって、どのくらい大事なのかに気づいた。

加えて、大事な人に、大事だと感じてもらうような行動が取れていない。

人の気持ちが分かれば楽なのに、分からないから勇気がいるとも思った。勇気は出せていない。出すべきなのかも分からない。


出すべきなのか分からないというのが、意思決定できていない1番のボトルネックなのかもしれない。

大事だと感じてもらう行動も、今はもうすべきでないのかもしれない。相手の負担になるのではないかと思う。

何を優先すればいいのか分からない。

果たして私の取りたい行動は、良い価値観からもたらされるものなのかと考えると自信がない。合法的な範囲内では、良い価値観かどうかの判断は私にしかできないし、判断ではなくて決断だろうということも分かっているつもりだ。



出来事と所感を振り返ってみる。

関わり始めてからこれまでで変化があったのは、以下の点。

最近、感情面、嗜好面、経験面の自己開示をしてくれることが増えていること。

会話する時に、よく笑ってくれるようになっていること。

会話する時に以前より目を合わせて会話するようにしてくれていること。

過去の自分のやったこと、ここでない場所でもやってきたことを共有してくれること。

似ているところを伝えてくれていること。

似ているらしいことは以下。

・論理的で構造化されているかを気にし始めると楽しくて止まらないこと。

(楽しくて仕方ないという表情をしていたし、初めてその人が会話らしい会話をしているように思えたし、やりとりを通して新たな観点を得て作り上げていくことも楽しいと感じていたように見えた。会話が楽しいかはお互いなんとなく分かるものだ。私も他者と会話らしい会話ができたと感じて嬉しかった。)

・仮説を立てて検証しているのが楽しいこと。

・結論ありきの検証を嫌うこと。

・準備をめんどうくさいと思うこと。

・やるなら徹底的にやりたいこと。

・やらないなら手を出さないこと。

・集中力が無く、つい遊んでしまうこと。

・興味範囲が一緒なこと。


一貫していたのは、以下の点。

face to faceのコミュニケーションを図ろうとすること。

私にとって良いことだろうと思う行動をとってくれること。

人は変わるし、相手がどんな人なのかを正確に理解することは不可能だということを、理解していること。

相手のためになると考える限り、自分よりも相手の意思を尊重しようとしてくれること。

名より実をとること。



話題を変える。


昨日、私は色々なことを知っているのだと言われた。実際のところ色々なことは知らないし、比較対象次第で変わる。

また、その道のプロフェッショナルと話をできるレベルにある分野は無い。

良く言えば、私は現状、何かを考える時の観点は多そうであり、悪く言えば、何も身についていないということだ。

身につくまで注力したいし、注力するのは何が良いか決めようと思った。


最近機会を設けてもらい、以下の4点を省みた。

・自分のやりたいこと

・自分にできること

・自分がやらなければならないこと(苦手なもののうち克服したいと考えていること)

・自分にやってほしいこと


身につくまでやりこむこととして、自分のやりたいことに繋がる、自分にできることに時間とエネルギーをかけるのが良いと思った。


新鮮だったので、自分にできることのうち、自分が自覚していなかったことを書いておくと、

私は相手の属性によらず、思ったことをはっきり言うことができて、その発言によって相手が私を嫌いになることがない、のだそう。

自覚していなかったというよりは、そんなことに価値があるとは思っていなかったというのが正確な話だ。


仮に私にそんなことができているとすれば、嫌われずに相手に思ったことを伝える際の要件は、以下の3つを行うことだと思う。

①相手を諦めないこと(もしくは尊敬すること)

これにより、否定されているのではないと感じることができる。

②(相手が気づいていないことで)的を得た発言をすること

これにより、相手は内容自体を認めざるを得ない。

③発言者の身勝手さに起因した発言と思ってもらうこと

これが、発言を受け入れる動機になる。


私もこれら3つの要件を徹底できているとは思えない。




関係のない話になってしまったので、最初の話題に戻る。


要するに私は、大事な人がいなくなりそうな状況で、関係をなんとかして継続させたい。


解決策は2つ。

①今後私が、関係の継続のために行動することを正解にしていくか、決めること

決められない…


②行動する場合、関係の継続を成功させる確率を上げる最も効率的な手段を実行すること

王道で攻めたいので、できることのうち、やりたいことに繋がるものを磨くことが最も効率的な手段と思う。なぜなら興味範囲が一緒だからだ。


②は今回のことが無くとも、私自身に良く働くので、やるとして、①を意思決定できない。

おそらく、利害関係にない周囲の先輩方にアドバイスを請いながら、やるのだと意志を固めるんだろう。




最後に関係のないことを書く。


以下のように述した。


・論理的で構造化されているかを気にし始めると楽しくて止まらないこと。

(楽しくて仕方ないという表情をしていたし、初めてその人が会話らしい会話をしているように思えたし、やりとりを通して新たな観点を得て作り上げていくことも楽しいと感じていたように見えた。会話が楽しいかはお互いなんとなく分かるものだ。私も他者と会話らしい会話ができたと感じて嬉しかった。)


これは私にとって、とても新鮮な発見だった。実を言うと、人とうまく会話ができないと感じることがこれまで多かったのだ。

故に、私自身の思う"会話"ができたと感じたこの時は、至福であった。また、この至福を共有できる相手を増やすことが私にとって楽しい時間を増やすのではないかと感じた。

私自身の思う"会話"の定義はここでは省略しておく。



考えの整理であり、誰かに聞いてほしいが聞いてもらうほどのことではない内容だったので、ここに書いた。

最初から大事な人をもっと大事にする方法はなかったのだろうか。悲しい。

悲しいことを書いてしまった。